社長の想いとりんじろう物語

写真:日総建株式会社代表福田安雄

私の住宅に対するモットー

私がそれまで個人住宅については、東京の石井春雄建築設計事務所に勤めていた時、ある有名人の住宅(鉄筋コンクリート造1軒)と福田建設で特命で請負ったある会社の社長のご自宅と建替3軒位しか手掛けておりませんでした。しかし、お客様がそれぞれ縁の深い方達の家造りでしたので、徹底して打合せをして造り上げた家ばかりでしたので、会社の作品としては後々まで残せる作品でした。
今考えてもあの時は、一人一人お客様に対して接して一生懸命つくして完成させた建物でしたので、私の基本方針は父親が生前よく口にしておりました。
「請負とは請けて負けると書くが、仕事は請けて全ての責任を負う訳だから責任重大であるし、請負った以上どういう事があろうとも最後まで責任を持って貫徹しなければいけないんだ」という事を言われたのをきのうのように憶えており、「請けたら最後までどういう事があろうと引渡しが出来る様に責任をもって完成させ、完成後もお客様の意向にしたがって出来るだけお付き合いが出来る様に建物の維持管理についても協力していく事」が弊社の使命であると考えます。
これを会社のモットーとして、代がかわっても引き継いでいきたいと思います。

初代以降180年、
佐野の地で育んだ歴史

りんじろう物語イメージ 空

初代「勘五郎」は小川勘平・かな子の長男として文政元年に江戸城詰めの屋敷に生まれました。
当時、江戸城出入りの2代頭領と云われた立川小平と清水万五郎がおり、勘五郎は、17歳の時に立川小平へ弟子入りしました。それから数年して立川小平が太田大光院(群馬県太田市)普請の大工頭領に指名され、勘五郎も随行し5年間立川小平の下で技術を磨きます。

江戸に帰る途中、沼津の定次郎という兄弟子から佐野の植野城(堀田13,000石のお城)の築城の要請を引き受け、普請に携わりますが、勘五郎26歳の時に遠藤商店(屋号福田屋)の一人娘を嫁に迎えました。本来商人としてお店を継ぐべきところですが、大工を志していた勘五郎は福田屋の屋号をもらい、この時、姓を「小川」から「福田」に改めました。

初代勘五郎、二代目林次郎、三代目政吉、四代目唯治まで、約180年にわたりこの佐野の地で宮大工の棟梁をはじめとして、代々建築業を営んで参りました。四代目の唯治は佐野市より宮大工として無形文化財技能保持者の称号をいただきました。五代目完輔は、りんじろうビルダー社長福田安雄の長兄です。

そして福田安雄は、大学卒業後東京の設計事務所へ8年、福田建設の専務として25年間勤務。その後「日総建株式会社」を立ち上げ、「りんじろうビルダー」というブランドで祖父の名前を命名し、パナソニックビルダーズグループに加盟して20年、現在に至っております。

「りんじろう」は実在した人物

りんじろう物語イメージ 林

お客様からもよく「りんじろうビルダーのりんじろうってどこからきたの?」と聞かれておりますが、りんじろうとは福田家の2代目の当主の名前です。
だいたいの場合は初代の名前からいただくことが多いかと思いますが、りんじろう(林次郎)ビルダーというブランドを立ち上げた私自身が三男坊であったことや、「林」という「木」にまつわる字が入っていること、また初代勘五郎をしのぐ宮大工としての技術力を持っていた事への敬意から名前をいただきました。
そして、やはり最後は親しみやすく語呂の良いことから「りんじろうビルダー」というブランドが生まれました。

住まいは人間形成の道場

りんじろう物語イメージ 手

パナソニックグループの社主である松下幸之助は、住まいというのはそこに住む人の心を変化させ、ひとつの性格を形作る力をもっている。住まいは雨露がしのげ、心身のおきどころになれば良いと考えるものではなく、さらに進んで、人間を練り鍛える道場、人格の成長をはかる場所という観点からこれらを重視すると共に、最新の注意を払って住まいづくりを心がければならぬという言葉を残しています。
わたしたちも住む方々の個性を引き出し、その家族にあった家づくりを推進していきたいと考えております。
和やかで楽しい家族を築くためにまずお客様自身が一家団欒の『和』を楽しみ、少しでもその方向に行くようにお手伝いするのが私たちの役目だと確信しています。