社長の想いとりんじろう物語

写真:日総建株式会社代表福田安雄

私の注文住宅に対するモットー

私の注文住宅に対するモットーは、

「お客様満足度の追求」と
「一流メーカーの製品をお値打ち価格で
提供していきます」です。

私が住宅を手掛け現在に至るまで

私は、「りんじろうビルダー」を起業・独立するそれまでは、
ひとつは、東京の石井春雄建築設計事務所在籍中、某有名人の住宅(鉄筋コンクリート造2階建て)
ひとつは、故郷佐野市へ帰郷の某会社社長のご自宅(鉄筋コンクリート造2階建て)
ひとつは、古くから会社とお付き合いしていた方の建替(木造2階建て)の3軒の注文住宅を手掛けるのみでした。鉄筋コンクリート造の2軒は、基本設計からお引き渡しまでおおよそ1年6ヶ月、木造の1軒は同じく1年ほど掛かったと記憶しています。当時、縁の深い方達の家造りでしたので、徹底して打ち合わせをし、造り上げた家ばかりでした。3軒とも1億円を超えるもので、作品として後世まで残せる良質な物件でしたが、お施主様も我々も、長時間掛かってしまう事が一番大きなデメリットでした。

その後、注文住宅については積極的な営業はせず、医院やスーパーマーケットなど、非住宅の大型物件ばかりに勤しんでいました。

私が53歳の時でした。
松下電工(現パナソニック)より、「グループに参入し木造住宅の販売をしてほしい」というオファーがきました。梁が、軽量H鋼で上下に木を抱かせ、構造は性能3(現耐震等級3)で一番上のランク。
一棟一棟構造計算を行い、「地震に強い家」として商品を売り出したいとのことでした。

松下電工は、一流会社で仕様も豊富、しかし商品は高価というイメージを持っていました。同時に私の気持ちは、これから住宅事業をやっていくためには、お客様の意向を入れつつどれだけ短期で引渡しができるかでした。松下電工は「グループに参加して販売してくれるなら、地域密着型住宅会社としてお客様へお値打価格で販売できるよう協力する」とのこと。

また段取りよくお客様と打ち合わせをすれば、着工後、3ヶ月~5ヶ月で、ほとんど引渡しができるということでした。
その短期工程の方法を知り、参入することを決め、課員6名を同行させ4日間の研修を受けました。

初年度は10棟を完工、今後、年間20棟~30棟を完工させるため、私自身が今以上に奮起せざるを得ない状況でした。

当時私は、福田建設株式会社代表取締役(私の長兄)の下で、別会社(日本総合企画株式会社)を営んでおり、多様に考えた末、福田建設代表と打ち合わせ、1年間福田建設の下請という内容を踏まえ、完全に独立することとなりました。
1年後、元請会社「林次郎ハウス・日本総合企画株式会社」として、「注文住宅」を中心に販売を始めました。

月日が経つのは早いもの。あれから30年近い歳月が経ちました。

現在は、地球環境問題に対応しなければならないほど、世界中がひっ迫しております。
異常気象による甚大な被害が世界中で起きており、日本政府も住宅に対しては、ZEH住宅(ネット・ゼロエネルギーハウス)を強く推奨しております。

私共も、それに従いメーカー共々、世界基準の家造りを推し進めていく所存です。
今後とも、ご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。

佐野の地で育んだ歴史

りんじろう物語イメージ 空

初代「勘五郎」は小川勘平・かな子の長男として文政元年に江戸城詰めの屋敷に生まれました。
当時、江戸城出入りの2代頭領と云われた立川小平と清水万五郎がおり、勘五郎は、17歳の時に立川小平へ弟子入りしました。それから数年して立川小平が太田大光院(群馬県太田市)普請の大工頭領に指名され、勘五郎も随行し5年間立川小平の下で技術を磨きます。

江戸に帰る途中、沼津の定次郎という兄弟子から佐野の植野城(堀田13,000石のお城)の築城の要請を引き受け、普請に携わりますが、勘五郎26歳の時に遠藤商店(屋号福田屋)の一人娘を嫁に迎えました。本来商人としてお店を継ぐべきところですが、大工を志していた勘五郎は福田屋の屋号をもらい、この時、姓を「小川」から「福田」に改めました。

初代勘五郎、二代目林次郎、三代目政吉、四代目唯治(佐野市より宮大工として無形文化財技能保持者の称号をいただいた)までが宮大工でした。

建築は、四代目の父親までがほとんどが請負ではなく、頭領が板に平面図を書き、材料が分かる様に書かれておりました。それをもとに山師のもとへ行き、丸太を買付(お施主様と頭領で買付)して現場で一本一本墨出しをして加工し、それを建てていました。そのお金はお施主様が支払っており、大工、他の職人の手間も1ヶ月単位でそれぞれに親方を通して支払われた様であります。現在の請負とは違って、常用で手間をもらってやっていたようです。
したがって「注文住宅」で請負をする様になったのは、第2次大戦後、昭和30年代になってからの話であります。

五代目完輔は、りんじろうビルダー社長 福田安雄の長兄であります。
そして私、福田安雄は「私の住宅に対するモットー」の中にも書きました通り、大学卒業後、東京青山にありました設計事務所に8年間、福田建設の専務として25年間勤務、その間「日本総合企画株式会社」を立上げた後独立し、「りんじろうビルダー」というブランドを確立。

松下電工ナイスビルダーズグループに参入し、「注文住宅」をメインに頑張ってまいりました。その間会社の都合で、社名を「日総建株式会社」に、松下グループを「パナソニック」に社名変更し、現在に至っております。

「りんじろう」は実在した人物

りんじろう物語イメージ 林

お客様からもよく「りんじろうビルダーのりんじろうってどこからきたの?」と聞かれておりますが、りんじろうとは福田家の2代目の当主の名前です。
だいたいの場合は初代の名前からいただくことが多いかと思いますが、りんじろう(林次郎)ビルダーというブランドを立ち上げた私自身が三男坊であったことや、「林」という「木」にまつわる字が入っていること、また初代勘五郎をしのぐ宮大工としての技術力を持っていた事への敬意から名前をいただきました。
そして、やはり最後は親しみやすく語呂の良いことから「りんじろうビルダー」というブランドが生まれました。

住まいは人間形成の道場

りんじろう物語イメージ 手

パナソニックグループの社主である松下幸之助は、住まいというのはそこに住む人の心を変化させ、ひとつの性格を形作る力をもっている。住まいは雨露がしのげ、心身のおきどころになれば良いと考えるものではなく、さらに進んで、人間を練り鍛える道場、人格の成長をはかる場所という観点からこれらを重視すると共に、最新の注意を払って住まいづくりを心がければならぬという言葉を残しています。
わたしたちも住む方々の個性を引き出し、その家族にあった家づくりを「注文住宅」で推進していきたいと考えております。
和やかで楽しい家族を築くためにまずお客様自身が一家団欒の『和』を楽しみ、少しでもその方向に行くようにお手伝いするのが私たちの役目だと確信しています。